塞翁失馬、焉知非福

語学とか釣りとか

魚釣りの楽しさ、待つ楽しさ

私は魚釣りが好きです。初めてちゃんとした釣りをしたのは中学生の時でした。釣り好きの友達に誘われ、休日の朝5時に集合して自転車で60分ほど掛けて隣町の山の渓流まで行きました。虫や鳥の声を聞きながら、友達から借りた道具で昼過ぎまで釣りをしたでしょうか。
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その日、私自身は結局一匹も釣れませんでしたが、目の前で友達が魚を釣ったときの感動は今でも覚えています。その後自分も釣り具を買い、友達に教えてもらったりしながら少しずつ釣りを覚えていきました。忙しくなった今でも、時々時間を見つけては釣りに行きます。割と飽きっぽい私でも長く続けてこられた釣り、その魅力を自分なりに他の人にも伝えることが出来たらと思い、この文章を書くことにしました。

釣り方を工夫する楽しみ

釣りを始めたころは、釣り方を色々工夫するのが楽しかったです。天候や魚の種類に合わせて餌や疑似餌(ルアー)を変えてみたり、魚の隠れていそうな岩陰を狙ってみたり。もちろん、色々と作戦を考えるのと同じくらい、ただじっと待つことも重要です。道具や場所を変えるべきなのか、そのままのやり方をもう少し続けるべきなのか、そこを考えるのもまた一つの楽しみです。友達に教えてもらったり、自分で本を読んだりしながら少しずつ知識を増やし、色々と戦略を考えるのが、最初の頃の大きな楽しみでした。

釣った瞬間の楽しみ

釣りに慣れてくると、徐々に魚を釣り上げることが出来るようになってきました。色々と工夫を重ねた末に釣れたり、たまたまラッキーで釣れたり、過程は様々ですが、どんな場合でも釣れた瞬間は楽しいものです。日常生活では得難い達成感のようなものもあります。私の釣り人生の中で、釣る瞬間のために釣りをやっている、という時期が一番長かったと思います。しかし、この時期もやがて終わりを告げました。

待つ楽しみ

年を重ねるにつれ、自分にとっての釣りの楽しみ方が変わってきたことに気付きました。釣り方を考えたり、実際に魚を釣ること以上に、釣れるのをじっと待っている時間のために釣りをしている自分に気付いたのです。魚が釣れるのをただ待っているのは、退屈だと思われるかもしれません。私も退屈は嫌いで、電車やバスでの移動中や病院、レストランの待ち時間などで暇にならないよう、いつも本やタブレットなどを持ち歩いています。うっかり本を忘れてただ待つだけになってしまった場合などはとてもイライラしてしまいます。でも、魚が釣れるのを待っているときはイライラしません。私は釣りをするときは釣竿を自分でもっていないと不安になるタイプなので、釣りをしながら本を読んだりスマホをしたりということもしません。手が塞がるので、必然的にただ待たされる状態になります。この間、日常から離れて色々なことに思いを馳せます。将来のこと、家族のこと、自分のこと。何もしないだけなら自宅でも出来そうなものですが、私は読みたい本があればつい読んでしまうし、そうでなければ家事を片付けたくもなってしまいます。私は性格的に、家でゆっくり物を考えることが難しいのかもしれません。そんな私にとって釣りの時間は、強制的に何かを考える時間を与えられる貴重な時間です。また、都会の喧騒から離れて水の流れる音や木々のせせらぎを聞きながら物を考えると、普段気付かないことに気付いたりすることもあります。

まだ知らない楽しみ

これまで年を経るごとに釣りの楽しみ方が変わってきたように、これからもまた違った楽しみが出てくることを期待しています。この文章を読んでくださった方に、釣りの楽しさが少しでも伝わったのでしたら幸いです。